院長ブログ一覧

糖尿病の歴史8 (イスラム:スィーナー)

次はイスラム世界のイブン・スィーナー (980-1037)です。ラテン語名はアウィケンナ、全名はアブー・アリー・アル=フサイン・イブン・アブドゥッラーフ・イブン・スィーナー・アル=ブハーリー。アリストテレス新プラトン主義(万物は一者から流出したものと捉える思想)を結びつけた哲学者であり、とても賢い人です。医学はアリストテレスより難しくなく短時間で習得したと自伝で書いています。

イブン・スィーナーの書いた「医学典範」はヨーロッパでも中世を通じて医学生の教科書として用いられました。ガレノスの医学書が20分冊の大作であったのに対し、医学典範は5分冊とコンパクトであり、学生は重宝したそうです。500年後のパラケルススは古い権威の象徴として「ガレノスの医学書」と「イブン・スィーナーの医学典範」を焼きました。なお医学典範には中国医学も引用され、幅広い内容を誇っています。

イブン・スィーナーは糖尿病について包括的な症状リストを記載し、壊疽やカルブンケル、結核も合併症リストに入れました。また、尿を乾燥させると蜜のような残渣が残ると記しています(タッタサル)。治療はフェヌグリーク、ルピン(豆類)、ワームシードなどの薬草を使いました。


平成27年3月10日

糖尿病の歴史7 (カッパドキア:アレタイオス)

カッパドキアのアレタイオスは2世紀頃の人と言われています。彼は「カッパドキアの」という形容詞をつけて呼ばれます。カッパドキアは現在のトルコの地方都市で、当時はローマ帝国の最北東の属州でした。カッパドキアは初期キリスト教の遺跡でも有名です。

彼は「慢性疾患の治療」という本の中で、糖尿病の症状を生き生きと描写しました。この描写は現代医学からみてもよく観察しています。糖尿病は英語で ”diabetes” と呼ばれますが、この言葉の起こりについても書いています。残念なことに、彼の本は16世紀半ばまで西洋社会に知られませんでした(ガレノスが引用していない)。

糖尿病は驚異に満ちた病気である。この病気はそれほど多くない。肉体・四肢が尿に溶けていく。その原因は腹水(水腫)のように寒と湿である。その行先はありふれたもので、すなわち、腎臓と膀胱である。患者は尿を作ることを止めることができない、尿の流れは絶えることなく、あたかも水道の蛇口から水が流れ出るごとくである。病気はゆっくりと進行し、完成するまで長い時間がかかる。しかし病気が完成すると身体の溶けかたは速くなり、死が間近になる。人生は嫌悪に満ち、苦痛なものになる。喉の渇きは癒されることがなく、過度に水を飲む。それでも大量に出る尿に見合うことがなく、尿の量は飲んだ水の量を超える。患者は尿を作ることも、水を飲むことも止めることができない。(タッタサル)

この病気は、サイフォンを意味するギリシャ語から "diabetes" と名付けられたように思える。なぜなら、液体は身体の中に留まることがなく、身体を梯子(はしご)のように使うからである。(ヘンシェン)。


「dia は〜を通して」、「betes は行く」 を示します。”diabetes” は「留まらずに通り抜ける」という意味の言葉です。「飲んだ水が変化を受けずにそのまま尿になる」という考えは、ガレノスの著述にも出てきます。梯子(はしご)は「人は梯子の下から上へ移動するが、梯子はそのままそこに残っている」という意味です。いきなり梯子がでてきてビックリしますが、ギリシア語の糖尿病と梯子は語根が共通です。なおサイフォンをギリシア語辞典で引くと、ディバイダー、コンパスなどが出てきます。2つを繋ぐ連結管のイメージで良いと思います。


平成27年2月23日

糖尿病の歴史6 (古代ローマ: ガレノス)

ガレノス(129-210)はローマ帝国時代のギリシアの医学者です。162年にローマで臨床活動を開始し、皇帝マルクス・アウレリウス・アントニウスの典医になりました。ヒポクラテスの四体液説を継承し、 20分冊からなる医学書を書き、西洋医学に支配的影響を与えました。ガレノスは1500年後のルネサンス期まで権威を保ち、ガレノス医学書を燃やしたパラケルススはバーゼル大学医学部を追放されています。

ガレノスの糖尿病の記述は短く、2人しかいなかったと述べています。栄華をほこったローマ帝国で本当に糖尿病が少なかったのでしょうか、不思議に思います。

糖尿病、あるいは暴力的口渇、尿瓶の水腫と呼ばれる稀な病気がある。この病気では腎臓が影響を受ける。私はこの病気は2回しか診ていない。患者は消えることのない口渇があり、大量に水を飲む。多飲に似て多尿があり、飲んだ液体はすぐさま尿として排泄される。(ヘンシェン)


平成27年1月16日

糖尿病の歴史5 (古代ローマ: ケルスス)

ケルススは1世紀頃のローマの著述家で、百科事典をいくつか書いています。その中に De Medicina (医学論:医学百科事典)があり、糖尿病がでてきます。西洋における最も古い糖尿病の文章とされますが、彼自身の観察ではなく、周囲に広まっていた知識をまとめあげたものと考えられています。ケルススの医学上の最も有名な仕事は、炎症の4つの徴候(発赤、腫れ、痛み、熱)を記載したことです。この4徴候は今でも大学で習います。 ケルススによる糖尿病の記載を紹介します。

苦痛なく尿量が飲水量を超えると、衰弱と危険が引き起こされる。尿が薄い時は陽だまりか暖炉のそばで運動やマッサージが指示される。入浴は回数を減らし、長く浸からない。食物は収れん性のものを摂り、酸っぱいワインを混ぜずに、夏は冷やして、冬は温めて飲む。食物はすべて最小量にする。腸を浣腸やミルクで動かす。尿が濃い時は運動やマッサージを多くし、風呂に長く浸かり、食べ物やワインを軽くする。 (アレン、他)


ケルススを意識して「ケルススを凌駕するもの」と自らを名づけた人がいます。のちに紹介するパラケルススです。


平成27年1月13日

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