糖尿病の歴史8 (イスラム:スィーナー)
イブン・スィーナーの書いた「医学典範」はヨーロッパでも中世を通じて医学生の教科書として用いられました。ガレノスの医学書が20分冊の大作であったのに対し、医学典範は5分冊とコンパクトであり、学生は重宝したそうです。500年後のパラケルススは古い権威の象徴として「ガレノスの医学書」と「イブン・スィーナーの医学典範」を焼きました。なお医学典範には中国医学も引用され、幅広い内容を誇っています。
イブン・スィーナーは糖尿病について包括的な症状リストを記載し、壊疽やカルブンケル、結核も合併症リストに入れました。また、尿を乾燥させると蜜のような残渣が残ると記しています(タッタサル)。治療はフェヌグリーク、ルピン(豆類)、ワームシードなどの薬草を使いました。
平成27年3月10日
糖尿病の歴史7 (カッパドキア:アレタイオス)
彼は「慢性疾患の治療」という本の中で、糖尿病の症状を生き生きと描写しました。この描写は現代医学からみてもよく観察しています。糖尿病は英語で ”diabetes” と呼ばれますが、この言葉の起こりについても書いています。残念なことに、彼の本は16世紀半ばまで西洋社会に知られませんでした(ガレノスが引用していない)。
糖尿病は驚異に満ちた病気である。この病気はそれほど多くない。肉体・四肢が尿に溶けていく。その原因は腹水(水腫)のように寒と湿である。その行先はありふれたもので、すなわち、腎臓と膀胱である。患者は尿を作ることを止めることができない、尿の流れは絶えることなく、あたかも水道の蛇口から水が流れ出るごとくである。病気はゆっくりと進行し、完成するまで長い時間がかかる。しかし病気が完成すると身体の溶けかたは速くなり、死が間近になる。人生は嫌悪に満ち、苦痛なものになる。喉の渇きは癒されることがなく、過度に水を飲む。それでも大量に出る尿に見合うことがなく、尿の量は飲んだ水の量を超える。患者は尿を作ることも、水を飲むことも止めることができない。(タッタサル)
この病気は、サイフォンを意味するギリシャ語から "diabetes" と名付けられたように思える。なぜなら、液体は身体の中に留まることがなく、身体を梯子(はしご)のように使うからである。(ヘンシェン)。
「dia は〜を通して」、「betes は行く」 を示します。”diabetes” は「留まらずに通り抜ける」という意味の言葉です。「飲んだ水が変化を受けずにそのまま尿になる」という考えは、ガレノスの著述にも出てきます。梯子(はしご)は「人は梯子の下から上へ移動するが、梯子はそのままそこに残っている」という意味です。いきなり梯子がでてきてビックリしますが、ギリシア語の糖尿病と梯子は語根が共通です。なおサイフォンをギリシア語辞典で引くと、ディバイダー、コンパスなどが出てきます。2つを繋ぐ連結管のイメージで良いと思います。
平成27年2月23日
糖尿病の歴史6 (古代ローマ: ガレノス)
ガレノスの糖尿病の記述は短く、2人しかいなかったと述べています。栄華をほこったローマ帝国で本当に糖尿病が少なかったのでしょうか、不思議に思います。
糖尿病、あるいは暴力的口渇、尿瓶の水腫と呼ばれる稀な病気がある。この病気では腎臓が影響を受ける。私はこの病気は2回しか診ていない。患者は消えることのない口渇があり、大量に水を飲む。多飲に似て多尿があり、飲んだ液体はすぐさま尿として排泄される。(ヘンシェン)
平成27年1月16日
糖尿病の歴史5 (古代ローマ: ケルスス)
苦痛なく尿量が飲水量を超えると、衰弱と危険が引き起こされる。尿が薄い時は陽だまりか暖炉のそばで運動やマッサージが指示される。入浴は回数を減らし、長く浸からない。食物は収れん性のものを摂り、酸っぱいワインを混ぜずに、夏は冷やして、冬は温めて飲む。食物はすべて最小量にする。腸を浣腸やミルクで動かす。尿が濃い時は運動やマッサージを多くし、風呂に長く浸かり、食べ物やワインを軽くする。 (アレン、他)
ケルススを意識して「ケルススを凌駕するもの」と自らを名づけた人がいます。のちに紹介するパラケルススです。
平成27年1月13日