院長ログ

糖尿病の歴史19 ロロの食事療法 (4)

いよいよロロの治療が始まります。ロロは、(1) 胃で行われているサッカリン産生過程を破壊すること、(2) 健康的な消化吸収を促進することを主な治療目標としました。次いで、(3) 皮膚表面からの吸収を防止(後述)し、(4) 亢進した腎の活動を抑えることを二次目標としました。

下記は、ロロが最初に指示した食事療法です。基本として動物性食品からなり、まさに「吐き気を催すまずい食事」です。

朝食は1+1/2パイントのミルクと1/2パイントの石灰水(1パイント=473ml)。パンとバター。昼食は血液と脂身のみから作った血液プディング。ディナーは、長期間保存した狩猟肉。胃が耐えられる限り、脂肪が多くて悪臭のする豚肉など。控え目に。夕食は朝食に同じ。



食事以外にも工夫をしました。主なところでは硫酸カリウム、酒石酸アンチモンワインが処方されました。硫酸カリウムは塩類下剤ですが、消化を抑え、糖の産生を抑えることを目的としています。酒石酸アンチモンワインも嘔吐剤・下剤です。アンチモンでできたカップにワインを入れておいておくと、化学反応を起こして薬ができます。余談になりますが、アンチモンカップは古代ローマの晩餐会で使われ、腹をすっきりさせて食べ物に向かっていたそうです。そしてアヘンの処方、これは鋭敏な胃の感覚を抑えるとしています。活動を抑える予備処方として、タバコとジギタリスも処方されます。運動はごく軽いものに留めています。アロエと石鹸による腸のお掃除も出ています。不思議な治療法ですが、皮膚に豚脂を塗ったり(飲んだ以上の量の尿が出る、これは皮膚と肺から水分が吸収されるからだ、その皮膚からの吸収を抑える治療だそうです)、クラウン硬貨の半分の大きさの皮膚潰瘍をつくりました。

10月19日に患者に治療計画を説明し、同日から開始した。早くも21日に変化が認められた。一日の尿量が12クォート(13.6L)から6クォート(6.6L)に減り、硫化アルカリ水の摂取も3クォート(3.3L)に減った。尿はそれほど透明でなくなり、中に浮遊物がでてきて尿らしい臭いがした。瀉血が効いたかもしれず、同日の本人の表現によれば腎あたりの痛みが軽く涼しく快活になったとのこと。

11月1日、尿は4クォート(4.5L)に満たず、色濃くなり、口渇も減少。飲水も2クォート(2.3L)になった。皮膚は湿潤、胃・腹部の深い症状が軽減。腰部の潰瘍部が痛むと訴える。便は悪臭が強い。硫酸カリウムが腎に悪影響をしていると考え、硫化水素水に変更。



眠前の麻薬は11月5日に止め、8日に豚脂を止めています。翌年(1797年)1月4日にロロは次の糖尿病患者には食事療法だけで良いと確信します。そして病気の改善とともに、メレジス大将の制限を解除していきます。



1月28日、 尿量36オンス(1L)、2月8日にジャガイモ許可。その後の尿は1クォート(1.1L)/日で、同量の牛乳を飲む。パン、ジャガイモを食べ、乗馬や散歩で疲れなくなった。キャベツなどの緑もの、煮た玉ねぎ、サラダ(酸っぱいソースなし)、マスタード、ホースラディッシュ、ラディッシュ、砂糖なしの紅茶、コーヒーを開始。



1797年10月にメレジス大将は冷たい湿った土地に従軍し、譫妄を伴う熱性疾患に罹患しましたが、糖尿病再発はありませんでした。1798年4月に「完璧な健康状態」とロロに手紙を書いています。メレジス大将の体重は糖尿病発症前105kgでしたが、11/28には73.5kgまで減少。その後は増加に転じ、12/30 83kg、1/28 87.5kg、3/15 93kgでした。


第2症例(陸軍大佐)も少しだけ紹介しておきます。治療後の経過です。



彼は変化を好み、極度に制限された単調な生活に耐えられなかった。家に帰った方がよかろうと思った。完全に良くならなかったが、満足できる結果であった。大佐は2月26日に退院、長旅に耐え、2月27日にポーツマスに就いた。途中不適切なものを食べ、胃腸を壊した。3月6日にビートルートを食べてまたお腹を壊した。3月9日に内科医から「好きなものを食べ、ワインを飲んで良い」と許可をもらい、病気が再発した。尿が甘くなり、量が増え、口渇が出てきた。




平成27年7月3日
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