糖尿病の歴史32 糖尿病では 膵島に異常 (2)
膵管を結紮すると外分泌腺が萎縮しますが、膵島は生き残ります。彼はこの実験をウサギ、イヌ、ネコ、雄牛、子牛、羊、豚、鳥などさまざまな動物種で行いました(パブロフもウサギ3羽、実験に協力しています)。子牛の膵臓は外分泌が未発達であり、膵島が大きく、X因子(膵島から分泌されるホルモン:インスリンのことです)の抽出研究に適していることを見つけます。膵移植実験や人の解剖も行いました。
彼は「糖尿病を患っていない場合、膵島は正常である。すなわち、いろんな有害な影響を受けても、膵の消化腺部位よりかなり丈夫な部分である」、「15人の糖尿病患者の検討では、膵島は非常にもろい臓器である」ことを見つけます。
残念ながら彼の研究はこれ以上進みませんでした。多発性硬化症の影響、無理解な上司 (糖尿病は神経系の病気であるという考えで凝り固まっていた)、血糖検査に20ml必要という当時の実験技術などがその理由とされています。
注:糖尿病が神経系の病気である、という考えはクロード ベルナールの考えです。クロード ベルナールは神経系が病的に肝臓に作用し、肝臓が糖を血中に過剰放出することが糖尿病の原因と考えました (糖尿病の歴史27)。
平成27年12月21日
糖尿病の歴史31 糖尿病では 膵島に異常 (1)
ユージン リンジー オピー(1873-1971)は米国の内科医・病理学者です。ジョン ホプキンス医学学校の最初の卒業生(1897卒)で、在学中に膵島異常と糖尿病の関連に気付きました。この発見はその後10余年にわたり、彼の主要研究テーマになりました。1901年にオピーは「慢性間質性膵炎の膵島および糖尿病に対する関係について」と題する論文を発表します(J Exp Med)。
膵臓の障害で糖尿病が起こるなら、その病変は膵臓のどこに起こったものでしょうか?。 膵腺房?、膵島?、それとも両者でしょうか?。 私は糖尿病患者11人の膵臓を顕微鏡的に観察しました。そうして「膵島と糖尿病の関連」を疑いようもないほど強い膵島変性を4人に認めました。第17症例では進行したヒアリン変性があり、ランゲルハンス膵島を膵腺房間にある臓器として認識できないくらい一様に変性していました。
オピーは細くて弱い体質の人でしたが、彼をいろいろなスポーツに引っ張り出していた同級生(結核専門医ブラウン)の方が早死にして、蒲柳の質と寿命は関連がないとも書いています。彼は生涯研究にいそしみ、最終論文は1970年発表です(97歳で筆頭著者)。亡くなる直前は目が見えず難聴もひどかったようですが、訪問者と討論を楽しんでいたそうです。
平成27年12月18日
糖尿病の歴史30 ミンコフスキー膵臓摘出実験 (2)
ミンコフスキーの上司が糖尿病の大家、ベルナール ノーナンであり、ミンコフスキーが糖尿病をよく知っていたことが幸運でした。この思いがけない発見により、膵臓と糖尿病の関係が確立しました。ミンコフスキーは細かく観察します。
膵臓を摘出すると糖尿病が発症した。糖尿病は数日後に始まり、死ぬまでの数週間続いた。尿糖が出現し、加えて多尿、口渇、空腹、体重減少、悪液質(栄養失調による全身衰弱状態)が出現した。
48時間絶食後の尿糖は5-6%。完全肉食で6-8%の尿糖、毎日1Lの多尿。ブドウ糖食で13%の尿糖が出た(16kgのイヌ)。尿はアセトンを含んでいた。血糖が上昇し、1匹の犬で0.30%(300mg/dl)、他のイヌで0.46%(460mg/dl)だった。臓器のグリコーゲンが消失していた。
「糖尿病のイヌ」から「健康なイヌ」に血液を輸血しても、「健康なイヌ」に尿糖は出なかった。太陽神経叢(腹部にある自律神経叢)は障害されていなかった。脂肪吸収は強く障害され、投与した蛋白の利用も障害されていた。
注:アセトンはケトン体の一つです。尿に出ると特有の甘酸っぱい臭いがします。 インスリンが欠乏すると炭水化物の代謝が障害され、脂肪の分解が亢進して血中にケトン体が増加します。典型例は1型糖尿病にみられるケトアシドーシス昏睡です。
平成27年12月2日
糖尿病の歴史29 ミンコフスキー膵臓摘出実験 (1)
メーリングはクスマウルの弟子です。クスマウルは糖尿病性ケトアシドーシス昏睡の時の深く大きな呼吸、クスマウル大呼吸に名を残す人で、この病態にアセトン血症ということばを作った人です。メーリングはクスマウルの影響で糖尿病に興味をもち、1885年にフロリジン糖尿(フロリジンを注射すると、腎臓での糖の扱いが変わり、尿糖が出ます)を発見します。フロリジン糖尿自体は糖尿病と関わりがないのですが、その〜100年後にSGLT2阻害薬の開発につながります。彼はミンコフスキーと膵摘出実験をしたのち、バルビツール系睡眠薬研究に進み、1902年にエミール フィッシャーと 世界最初のバルビツール系睡眠薬(バルビタール)を合成します。
ミンコフスキーは今のリトアニア出身の人です。とても器用な人だったようで、1888年に世界で最初の肝臓摘出術(ガチョウ)を成功させ、肝臓手術の父でもあります。
1889年、ミンコフスキーは雑誌を探しに別の施設に行き、そこでメーリングと出会います。2人はリパニン(膵酵素製剤)の役割について討論します。メーリングは「膵酵素は脂肪分解に必要」と主張しますが、ミンコフスキーはこれに反対します。しかし議論するだけでは決着がつきません。2人は「白黒を明らかにする最も良い方法は膵臓摘出実験である」と考えます。このときメーリングは自分の研究所で膵管結紮術を行っていましたがうまくいっていませんでした。その日の午後のうちに手術の上手なミンコフスキーが、メーリングのイヌを用いて膵臓摘出術を行います。
メーリングは不運でした。肺炎をおこした義父を見舞うために研究所を数日不在にします。そのため「膵臓を摘出すると糖尿病が発症する」という発見はミンコフスキー単独の業績とされます。
平成27年11月10日