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肝臓によく効くインスリンは良くない

日本の話ではありませんが、インスリンの話題を2つ紹介します。

1つは吸入インスリンAfrezza アフレッザ」の販売中止です。アフレッザは米国マンカインド社が開発し、フランスのサノフィ社が販売しました。以前に「Exubera エクスベラ」吸入インスリン(ファイザー社)が販売中止になりましたが、アフレッザも同様の経過をたどりました。吸入インスリンの普及は難しいようですね。

2つ目はリリー社の「Peglispro ペグリスプロ」インスリンの開発中止です。「ペグリスプロ」は持効型インスリンで、これまでの持効型インスリンにない特徴を持っています。肝臓によく効き、筋肉や脂肪組織にはあまり効かないのです。肝臓に効くことで (1) 肝臓で糖新生を抑えて血糖を下げ、筋肉や脂肪組織で効きにくいために (2) 低血糖が少なく、体重が減りやすいことが期待されました。

生理的に膵臓から分泌されるインスリン(内因性インスリン)は、門脈を通って肝臓に到着します。肝に入ったインスリンは一部が肝で使われ、約半分の濃度になって末梢組織に流れていきます。ところが、外から皮下注射したインスリン(外因性インスリン)では、肝と末梢組織に到着するインスリン濃度は同じになります。ですから、これまでのインスリン製剤の働きは内因性インスリンに比べると、肝で弱く 、末梢組織で強くなっていました。

「ペグリスプロ」では皮下注射しても「肝>末梢組織」の効き方になります。それなら、「ペグリスプロ」の開発は理にかなっている気がします。実際の臨床でも(イマジン5研究)、「ペグリスプロ」の方が「ランタス」(最初に開発された持効型インスリン製剤)よりHbA1cが改善し(6.6% 対 7.1%)、低血糖が少なくなりました(夜間低血糖は60%減)。

では、「ペグリスプロ」の何が悪かったのでしょうか。実は脂肪の動きを忘れていたのです。末梢の脂肪組織でインスリンが十分に働かないと脂肪が分解し、遊離脂肪酸が増えます。増加した遊離脂肪酸は肝に運ばれ、肝内脂肪を増やし、インスリン抵抗性を引き起こします。肝障害が起こり、肝硬変から肝癌になる可能性もあります(NASHと呼ばれます)。さらに、遊離脂肪酸は動脈硬化や不整脈のリスクになる可能性もあります。実際、イマジン5研究では肝の脂肪含量が増加し、肝障害が起こり(肝酵素の上昇)、血清中性脂肪が増加し、HDLコレステロールが低下していました。

「ペグリスプロ」を開発していくなら、安全性をさらに厳しく確認していかなければなりません。開発中止は当然かもしれません。


平成28年5月30日

糖尿病の歴史37 インスリンの発見

ゲオルグ ツュルツァー、アーネスト スコット、ニコラス パウレスコなどインスリン発見の手前まで来た人たちがいましたが、最終的にトロントのフレデリック バンティングチャールズ ベストたちがインスリンを発見します(1921年)。インスリンは糖尿病性昏睡状態のトンプソン君に使われて劇的な効果を発揮します(1922年) 。

このあたりの話も実はややこしくて、バンティングとベストが抽出したインスリン製剤はトンプソン君にほとんど効果がありませんでした。長期休暇(サバティカル)でたまたま研究室を訪れていたジェイムズ コリップが精製した製剤が成功したのです。このとき研究室を主宰していたジョン ジェームズ リチャード マクラウドとバンティングの間に争いが起こっていました。

インスリン抽出に成功したトロントグループですが、インスリン精製はできたりできなかったりで、危うい難しいものでした。ここを手助けして製品化したのがイーライ リリー社です。

インスリン発見の経緯はマイケル ブリスがくわしく述べています(The Discovery of Insulin by Michael Bliss 1982年)。大冊ですが、翻訳もありますので、興味のある方はどうぞ読んでみてください。「インスリンの発見(マイケル・ブリス著 堀田饒訳、朝日新聞社 1993年)」。私は30年前にペンシルベニア大学図書館でこの本をみつけ、興奮しながら読んだことを思い出します。

当時の雰囲気を患者、家族目線から知りたい方には「ミラクル エリザベス・ヒューズとインスリン発見の物語、日経メディカル開発 2013年」をお勧めします。性格が破たんしてトラブルを引き起こすバンティングも暖かい目で描かれています。

糖尿病の歴史もようやくインスリン発見まできました。ここでいったん歴史はお休みします。


平成28年4月14日

糖尿病の歴史36 インスリン発見前夜 ~血糖測定法の進歩 (3)

血糖測定法の続きです。

1915年にルイスとベネディクトが画期的な血糖測定法を発表します。必要血液量は2mlです。彼らはピクリン酸を用いて手順を単純化しました。ピクリン酸は蛋白を除く作用があり、同時に糖と反応して赤く発色する性質があります(この発色で糖を測定します)。このため蛋白を完全に除去する必要がなくなりました。

改良はさらに続きます。ルイス・ベネディクト原法ではフラスコ内容物を直火で蒸発させる手順があります。マイヤーズとベイリーは最初の血液希釈度を下げることによりこの手順を省略し、100Cのビーカー内で温浴させることで発色を強め、手順をさらに単純化させました(1916年)。ついに洗練された血糖測定法ができたのです。

硝子製の注射器で約2.5mlの血液を採取する。注射器は血液凝固を防ぐため、あらかじめ蓚酸カリウムで濡らしておく。採取した血液は少量の蓚酸カリウムを含む試験管に移す。ピペットで2mlの血液を15-20ml容量の遠心管に移す。ピペットは8mlの水で洗い、その水も遠心管に入れる。この操作で血液を5倍に希釈し、完全に溶血させる。0.2mgの乾燥ピクリン酸を添加し、撹拌棒でよく混和する。蛋白を完全に沈殿させ、溶液をピクリン酸で飽和させ、時々混和しながら数分置く。次に遠心機にかけ、4cm径の濾紙で溶液を濾過し、上清を乾燥した試験管に移す。3mlを背の高い試験管に移し、1mlの20%炭酸ナトリウム溶液を加え、15分間ビーカー内で100Cで温浴させる。この温浴で溶液は完全に発色する(これ以上温浴しても色は変わらない)。室温まで冷却し、発色度合に合わせて水で薄め、比色計で測定する。


バンティングとベスト(1921年インスリン発見)が採用したのは、マイヤーズとベイリーの変法です。


平成28年3月24日

糖尿病の歴史35 インスリン発見前夜 ~血糖測定法の進歩 (2)

今回は1910年前後の血糖測定法の進歩を紹介します。多くの成果があいついで発表され、研究競争も激しかったようです。少し煩雑ですが、当時の雰囲気が伝わってきますので、端折りながら紹介します。

最初にバングの微量化学分析を紹介します(1907年発表、1913に論文)。


100mgの血液を濾紙にしみこませ、重量を特殊なねじり秤で測定し、蛋白を塩化カリウム、酢酸ウラニウム、塩酸溶液で蛋白を「固定」。濾過液を硫酸銅と塩化カリウムを含む溶液内で90秒ほど沸騰させ、その後急速に冷却。酸化を防ぐために二酸化炭素をかぶせる。糖濃度は還元銅をヨード液で滴定(バング考案の精密な目盛り付きの分析用ガラス管使用)、指示薬は澱粉。

バング法では正常人血糖は100-110mg/dl、糖尿病で200mg/dl以上と測定され、妥当な値です。バング法は大変な手間がかかり、繰り返して測定するには難があります。蛋白を「固定」する方法にも少し無理があり、ガードナーは抽出前の濾紙を90-100Cで3-5分熱することで蛋白を凝固させ、蛋白が濾紙から溶出しないよう工夫しました(この工夫で抽出時間を十分にとることができ、精度が上がるそうです)。バング法では濾紙の品質も重要です(当時還元物質を含まない濾紙はあまりなかった)。



1908年にミカエリスが蛋白を除く方法に「沈殿法」を導入しました。ミカエリス-メンテン定数(酵素反応定数)で有名なミカエリスです。ミカエリスは我が国とも関わり合いがあり、1922年に愛知医科大学(現在の名古屋大学)の教授に就任しています。彼はバートランドの測定法を改良し、1mlの血液で可能な血糖測定法を開発しました(1914年)。

ミカエリスは「血糖は蛋白質に結合しておらず、自由な状態で存在する」ことを見つけました。とても大切な発見です。古い方法の多くは「沈殿した蛋白の洗浄作業」(ここで糖を喪失する可能性)があり、新しい濾過液を用いる方法は「蛋白の塊に糖が吸着していない」ことを証明する必要があったからです。

ミカエリス法では糖が酸化第二銅を酸化第一銅に還元する性質を利用し、「沈殿した酸化第一銅を分離」して糖を測定します。しかし糖が少ない時は酸化第一銅の沈殿量が少なく、うまく測定できません。ガードナーは蛋白分離と沈殿物分離のそれぞれに工夫をこらし、蛋白分離には濾紙とリネン綿、沈殿物分離には特別に調整されたアスベストウールを用いることでうまくいくと発表しました(1914)。


平成28年3月3日

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