院長ブログ一覧

糖尿病の歴史17 ロロの食事療法 (2)

ロロの報告を読みますと、当時の糖尿病を取り巻く状況が伝わってきます。少し長くなりますが、紹介します。

ロロが初めて出あった糖尿病患者です。

1777年、思い出す限りでは5月か6月頃だったと思う。エジンバラの織工が糖尿病患者だった。彼は〜4ヶ月ほど王立病院に入院したが、良くならなかった。主治医は薬用植物学教授の故ホープ医師であった。彼が退院した時、ジョンストーン氏(当時は医学生)、そして私自身が彼を数日引き止め、経費を支払って採血・採尿し、その外観と自然変化を確かめた。私は血液と尿がドブソン医師が述べたとおりであったことをよく覚えている。文書とサッカリン抽出物は外国に行く際に持ちだしたのだが、1780年バーベイドス(注:西インド諸島)で台風にあった際に失ってしまった。それ以後、私はアメリカ、西インド諸島、英国でさまざまな病気を診てきたが、1796年になるまで糖尿病患者には出会うことはなかった。


当時、糖尿病はそれほど多くなかったようです。
次は1例目の患者さんについてです。

これまでも私は職業柄、メレジス大将と会うことがあった。彼は大きく太った男だった。そのため、私はいつも「彼はいつか病気になるだろう」と思っていた。1796年6月12日、メレジス大将が私を訪れてきた。会った瞬間に「小さくなったな」と驚いたが、血色がよく、それ以外は健康であるという印象をもった。しかし話し出してすぐにその逆であることがわかった。彼は大変な病気にかかっていた。何とかならないかと繰り返し医者に行ったが、良くならなかった。そこで彼は私に相談するため訪ねてきたのだ。仕事を整理し、ヤーマスにいる家族と余生を過ごしながら残った仕事をしたい希望があった。

彼は激しい口渇があり、強い食欲に悩まされていた。皮膚は熱く、乾燥してひび割れていた。脈は小さく、速かった。彼は古い病気、肝臓に問題があると考えていた。口渇、乾燥皮膚、頻脈は熱性疾患の特徴を持ち、どこか局所の問題だろう、それが食欲を亢進させていると考えていた。私はすぐさま糖尿病が頭に浮かんだ。彼に尿の状態を尋ねたところ、まさに糖尿病特有の量・色であった。同時に非常に驚いたことは、2-3ヶ月もの間、内科・外科の医師の世話になりながら、多尿について聞かれていなかった。患者のいうには「がぶ飲みするから、おしっこが多いのはあたりまえだろう」、尋ねられなかったくらいだから、彼は何も聞いていなかった。次回の排尿を捨てずに持ってこさせ、尿が甘いことがわかった。そして糖尿病という診断が確かめられた。私は内科医あてに手紙を書いた。



平成27年7月1日

糖尿病の歴史16 ロロの食事療法 (1)

ジョン ロロはスコットランド軍医です。 陸軍軍医総監まで上り詰め、英国陸軍砲兵隊病院が拡張されるときにはその監査官を務めています。ロロは外科医ですが、彼を有名にしたの外科の仕事ではなく、内科疾患の糖尿病治療です。ロロが考案した食事療法はある程度の成功を示し、以後インスリン発見(1921年)頃まで使われます。

ロロはドブソンの発見(血液も甘い)に着目した最初の人で、「高血糖〜尿糖」が解決すべき代謝上の問題であると考えました。血液の甘さはどこからきたのか?、糖尿病はどの臓器の病気なのか、ロロは「糖尿病は胃の病気であり、糖は胃で野菜から作られる」と考えました。そして諸悪の元になっている「野菜をなくす」食事療法を考えました(1797、1798年)。

最初の患者さんは糖尿病歴が半年、どこに行っても治らず困っていましたが、ロロの食事療法で奇跡が起こりました。治療開始2日めから尿量が12クォート(13L)から6クォート(7L)に減少し、2週間で尿が甘くなくなり、2.5ヶ月後には減っていた体重が増加してきました。2人目の患者さんは、いつ糖尿病になったか分からないほど慢性的な経過がある人でした。彼もロロの食事療法で良くなりますが、最初の患者さんほど劇的ではありませんでした。


平成27年6月30日

糖尿病の歴史15 (麻薬も糖尿病の薬)

糖尿病は不治の病で、いろいろな治療法が試されてきました。

古代エジプトでは血玉髄(酸化鉄の混じった細かい石英結晶)、赤小麦、キャロブでした。古代インドではギムネマが試されました。

ギムネマの薬効成分であるギムネマ酸は不思議な性質を持っています。ギムネマを摂ってから砂糖を舐めると、砂糖の甘さが感じられなくなります。血糖を下げる効果も幾分あるようです。ギムネマをお茶で飲む研究は日本で報告されました(米子医誌1987)。インドでは一般に粉末にしてスプーンですくって飲むそうです。


古代ローマのケルスス(1世紀)は「運動やマッサージ、収れん性の食品・酸っぱいワイン、浣腸」を勧めました。麻薬はアルキゲネス(2世紀)が試しています。麻薬は腎の刺激をなだめる作用(糖尿病は腎の病気と考えられていた)があるとされ、19世紀まで糖尿病治療に使われました。実は麻薬そのものに血糖を下げる力はありません。麻薬の作用で食欲が低下し、食べなくなることで血糖が改善していたことが明らかになっています。

イェティウス(550年頃ギリシア)は瀉血、催吐剤、麻薬を使っています。イスラムの天才、スィーナは薬草(フェヌグリーク、ルピン(豆類)、ワームシード)を紹介しています。西洋人で初めて尿を舐めたウィリスは「牛乳、米、石灰水、糊状のねっとりした食品、アンチモン、ドーバー粉末とテバイカチンキ(麻薬)」を使っています。モートンは牛乳ダイエット、血液が甘いと言ったドブソンは、「できる限り多く食べる(肉と力が尿に出てしまうのを補う)」としています。

どれも大きな効果は期待できないものでした。


平成27年6月16日

糖尿病の歴史14 (尿糖測定法の開発)

尿糖がブドウ糖であることを発見したのはシュヴルールです(1815年)。

尿糖(ブドウ糖)測定法は、1830年にカール アウグスト トロマーによって開発されました。測定原理は熱-銅還元法です。ブドウ糖はアルカリ性溶液中で環状構造から鎖状構造に変化し、還元作用を有するアルデヒド基(-CHO)が生じます。このアルデヒド基による還元作用によって重金属塩が沈殿し、固有の色調を呈するわけです。トロマー法は、のちにフェーリングによって改良されます。

しかしながら一般臨床医に好まれたのはもっと簡単な方法のようです。1862年、ウィリアム ロバーツによって尿糖酵母法が発表されました。尿に酵母を加えると、発酵してブドウ糖が消費されます。これを比重の変化で簡易測定する方法です。

尿+酵母 24h→ 比重低下(x0.23)

ともあれ尿糖検査が開発されたおかげで、臨床医は尿を舐める必要がなくなりました。


附)
私が卒業した頃の阪大では診察室の裏で尿糖を測定していました。最初に尿糖検査紙(テステープ)を使います。尿糖が少ない場合はこれで終了ですが、尿糖が多い場合は飯塚氏法簡易尿糖定量法(還元法)を追加しました。試験管に飯塚氏液をとり、加熱しながら少しずつ尿を滴下して色の変化に要した尿滴下数を勘定しました。昔の思い出です。


平成27年6月5日

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