院長ブログ一覧

糖尿病の歴史11 (おしっこの味)

糖尿病で尿糖が出ることはアジアでは古くから知られていました。古代インドの糖尿病で紹介したスシュルタ(600BC)は、「尿を舐めて糖尿病を診断する」、「尿にアリが集まる」と書いています。中国の外台秘要(752)でも「小便甜きに至る」と記載されています。ところがヨーロッパでは17世紀に至るまで誰も尿糖を知りませんでした。最初に尿を舐めたのはトーマス ウィリス(1621-75)です。

糖尿病は古代まれな疾患で、ガレノスは2人しか診ていない。最近、糖尿病が増えている。 <中略> 多くの人が「飲んだ液体がそのまま尿に出る」と考えているが、真実からほど遠い。なぜなら私の知る尿は全て、また全ての尿でそう信じるが、飲んだ液体と異なっている。また体内で生じる液体とも異なっている。尿は蜂蜜か砂糖で漬け込んだように素晴らしく甘い。(Pharmaceutice rationalis 1681)


ウィリスは尿が甘いことに気づきますが、糖を含んでいると考えませんでした。1817年出版の「アメリカ現代臨床」(サッチャー)にも、第41章糖尿病および他の泌尿器疾患に「サッカリン物質 (saccharine matter) の生成を防ぎ、胃の亢進作用を抑える処方」と書かれています。この時代にあっても「サッカリン物質」であり、糖でないことに驚きます(胃の亢進作用というのは、糖尿病が胃の病気と考えられたことに起因します)。

フランシス ホーム(1719-1813)は、「糖尿病患者の尿に酵母を入れると発酵する。最初は甘く、最後は甘みがなくなり、スモールビールの味がする」と観察しました。スモールビールは、二番麦汁から作ったビールのことです。酵母発酵で甘味がなくなる(糖が消費される)ことは、尿糖測定に用いられるようになります(後述予定)。ホームは麻疹(はしか)が患者血液内の感染性病原体によっておこることを発見し、ジェンナーに先立つこと半世紀前に麻疹ワクチンを試みた人です。


平成27年4月17日

糖尿病の歴史10 (中世ヨーロッパの尿検査)

血糖が尿糖排泄閾値を超えて高くなると、尿に糖が出ます。しかしながらヨーロッパでは尿糖はなかなか知られませんでした。あのパラケルススも糖に考えが及んでいません。中世ヨーロッパで行われていた尿検査は主に色をみています。今回は尿の色検査(ウロスコピー)について紹介します。

ウロスコピーはまず特別な尿フラスコを用意します。尿フラスコは「厚さが均一、かつ色のついてない透明な瓶」で、上がすぼまっています。患者はこれに尿をとり、医師はその色をみて病気を診断します。置いておくと尿が濃くなり、温度の変化もあって色調が変化しますので、わりと速やかに検査を行います。尿の色をみることは、古代エジプト医学から始まっていますが、中世ヨーロッパ医学で強調されました。

中世ヨーロッパ医学の主流は四体液説です。四体液説は、4種類の体液(血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁)に変調が起きた時に病気が生じると考える説です(ヒポクラテスの項参照)。この説に従えば、「尿は体内と直接に接触しており、とくに色は四体液と密接に関連している。それ故に尿は個人の健康状態を示す」と考えられます。尿の色はとても大切なのです。

ウロスコピーは大流行し、尿だけで病気の鑑別、年齢・性別さらには未来までわかるとされました。いくらなんでも行き過ぎですね。これに反対して大きな声を上げたのが、英国のブライアンです。彼は臨床経験が10年に満たない医師でしたが、1637年に「尿予言あるいはある尿瓶講義」という本を書きました。批判対象は、ウロスコピーを尿予言として扱って診療する人たち(藪医者、経験主義者)です。

少し脱線します。この本は表紙をみていてもなかなか面白く、「今まで英語を話す人によって出版されたことがない」とか「ロンドン居住、今はエセックスのコルチェスターに居住」とか書いています。今だったら本の帯に載る宣伝文でしょうし、新旧の居住場所まで書くんですね。藪医者はクワックと記され、こっそり使われるべき隠語が堂々と表紙に使われています(クワック→ガチョウの鳴き声→英語でダック→ドクターです)。

12章の扉には「尿だけで病気の診断をしてはならないこと。病人がどのように病気になったのか厳密に診察し、この卑しい習慣(尿予言)がいかにでてきたのかを知らないで、尿の判断をしてはならないこと」とあります。検査だけをみていてはだめですよ、という彼の言葉は今も当てはまります。


平成27年4月3日

糖尿病の歴史9 (パラケルスス 1493-1541)

パラケルススはルネサンス初期のスイスの医師・錬金術師です。ハリー ポッターで有名になった「賢者の石」を持っていたと噂される人です。錬金術というと胡散臭い印象がありますが、錬金術によっていろいろな化学物質が知られるようになり、 化学が発展しました。当時の先進科学です。あのニュートンも錬金術師です。

パラケルススは「古代ローマの医者ケルススを凌ぐ」という意味を込めてパラケルススと自称しました。本名はフィリップス・アウレオールス・テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイムです。バーゼル大学医学部教授に就任しましたが、ガレノス医学書、スィーナー医学書を焼いて追放されました。アルコール依存症であり、特にバーゼル大学から追放されてから飲酒が多くなったようです。

当時の主流だった古代ギリシア医学は四体液説を信奉し、「病気は体液バランスの異常」と捉え、病気そのものを考えることはありませんでした。薬も「病気に対する特別作用」でなく、「体液を調整する間接的作用」と考えていました。しかし病気そのものに効く薬があり、身体が如何に働き、治るかといった物質化学的な考えが出てきました。この考え方を推し進めたのがパラケルススです。彼は生体を複雑な異なる物質からなり、それぞれが理解でき、医薬によって影響できるものと考えました。この考え方を採用して医学は大きく前進していきます。ただ彼は「生」の力、自然の叡智、人たる霊性というものも重要視しました。その意味で、現在の代替え療法に似ています(ウッド)。

パラケルススは鉱水から塩類が析出するのを観察し、塩類が身体内の固体と液体を調整していると考えました。もし固体が液体から析出すれば、人体は鉱質化し瘡蓋化する。関節炎や結石はその特徴的な病気である。もし固体が不足して液体が多ければ、身体は液体過多になる。糖尿病がそれである。糖尿病患者の尿を乾燥させると白い残渣が残るとも記しています。

ところで、「ハリー ポッターと賢者の石」ですが、英国版と米国版でタイトルが異なっているのをご存知でしょうか。英国版ではHarry Potter and the Philosopher's Stone (ハリー ポッターと賢者の石)であり、米国版ではHarry Potter and the Sorcerer's Stone (ハリー ポッターと魔法使いの石)です。賢者の石は米国の子供たちには知られていないようです。


平成27年3月27日

糖尿病の歴史8 (イスラム:スィーナー)

次はイスラム世界のイブン・スィーナー (980-1037)です。ラテン語名はアウィケンナ、全名はアブー・アリー・アル=フサイン・イブン・アブドゥッラーフ・イブン・スィーナー・アル=ブハーリー。アリストテレス新プラトン主義(万物は一者から流出したものと捉える思想)を結びつけた哲学者であり、とても賢い人です。医学はアリストテレスより難しくなく短時間で習得したと自伝で書いています。

イブン・スィーナーの書いた「医学典範」はヨーロッパでも中世を通じて医学生の教科書として用いられました。ガレノスの医学書が20分冊の大作であったのに対し、医学典範は5分冊とコンパクトであり、学生は重宝したそうです。500年後のパラケルススは古い権威の象徴として「ガレノスの医学書」と「イブン・スィーナーの医学典範」を焼きました。なお医学典範には中国医学も引用され、幅広い内容を誇っています。

イブン・スィーナーは糖尿病について包括的な症状リストを記載し、壊疽やカルブンケル、結核も合併症リストに入れました。また、尿を乾燥させると蜜のような残渣が残ると記しています(タッタサル)。治療はフェヌグリーク、ルピン(豆類)、ワームシードなどの薬草を使いました。


平成27年3月10日