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糖尿病の歴史24 膵臓研究事始め (2)

はっきりと膵臓をリンパ節と区別して記述したのはヘロフィロス(335〜280BC)です。ヘロフィロスはカルケドン(トルコ)に生まれ、アレクサンドリア(エジプト)に移住し、エラシストラトスと共にアレクサンドリア医学校を創設します。彼はその地で系統的な科学的解剖を行います。それもエジプト王の許可を得て、600人ほどの囚人を生きたまま解剖したといわれています。当時のエジプトはプトレマイオス朝:アレキサンダー大王の死後に部下のプトレマイオス(マケドニア人)が創始したギリシア系王朝で、許可を与えた王はプトレマイオス1世 ソーテール、および彼の息子プトレマイオス2世ピラデルポスです。


食物は胃から腸に運ばれ、そこに肝から胆汁が到着して加わる。別の腺(注: 膵臓)からも唾液腺と同じく粘性のある液体が到着して加わり、消化に役立っている。(ヘロフィロス、エウダモス)


この記載は正しく、のちのガレノス(129-210AD)が間違います。ヘロフィロスの解剖は画期的なものでした。中世は解剖があまり行われず、次に学問的解剖が行われるのは1600年後です(ヴェサリウス1514-1564)。ヘロフィロスは「運動と健康な食事が個人の健康に不可欠である」との信念を持っていました。「健康でないなら、智慧は現われず、美も顕れない。力が発揮できず、富は役立たずとなり、理性も力がなくなる」と述べています。

膵臓(パンクレアス)の名付け親は、エフェサスのルーフス(紀元100年頃、ギリシア)とされます。彼はヘロフィロスからさらに400年後、「全て+肉」の意味を込めてpan+kreas パンクレアスと名付けました。実はパンクレアスという言葉自体は彼以前からあり、ルーフスの評価は「膵臓をリンパ節と区別」してパンクレアスと呼んだことにあります。

ガレノスは膵臓をカリクレアス(kalikreas)と呼びました。美しい肉という意味です。彼は「膵臓はその後ろにある大血管を保護するクッションの役目をしている」と考えました。この誤った考えは17世紀まで受け継がれます。


平成27年8月20日
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