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糖尿病の歴史26 膵臓切除実験

17世紀にようやく膵臓と糖尿病の関わりが出てきます。ヨハン コンラード ブルンネル(スイス人解剖学者)が生きているイヌで膵臓の切除実験を行ったのです。ブルンネルはシルビウスやグラーフの「膵は消化機能に重要」という見解に反対で、反論するために実験を行いました。

イヌの膵切除実験はパリ留学中の1673年から行っています。技術的制限から十二指腸部の膵臓を残し、尾部を切除しました(両膵管が合流する手前の膵管結紮は行う)。手術を受けたイヌは口渇、多尿を呈しましたが、症状は一過性で完全に回復しました。この実験結果からブルンネルは「膵は消化機能に必要なし」と結論しました。


No1のイヌは術後、普通に食べ、飲み、排泄し、3ヶ月ほど生きて逃げてしまった。No2イヌは1ヶ月で逃げてしまった。No3イヌは4ヶ月後に死んだ。解剖すると、残膵は萎縮しており、結紮した膵管は6倍に太くなていた。No4イヌは膵管の結紮が困難であった。このイヌは2日目から食欲旺盛だったが、水様便であり、術後16日目に死んだ。解剖では残膵は指ほどの大きさであり、膵周囲に膿瘍があった。膵摘したイヌは全て術後に口渇を呈した。No5イヌは大量の排尿をし、地面を広く湿らせた(6ヶ月生存)。No6イヌは口渇があって、小川で水を節操もなく飲んだ。No7イヌも口渇があり、ミルクを貪欲に飲んだ。


ブルンネルは1683年に実験成果を発表しましたが、信憑性を疑われました。そのため1685年10月6日に再実験を行い、手順や経過をさらに細かく記述しました。


最後のイヌは術後4日目に餌を要求し、傷も良好だった。5日目に脱走して飼い主のところに逃げ帰った。飼い主は傷を見て怒り、喧嘩になった。返してくれるよう飼い主に頼んだが、断られた。それから半年の間、No8イヌはその家の番犬となり、勇敢で強く、素早く走ったり跳ねたりした。最終的に雌犬の助けを借りてそのイヌを誘惑し、連れ戻すことに成功した。待望の解剖を行うと、「残膵は萎縮しており、膵管が完全に閉塞している」ことが確認された。


膵切除後に現れた口渇、多尿は糖尿病の症状です。症状が一過性で終わったのは、十二指腸部の膵臓を残したためと考えられます。もしブルンネルが糖尿病に興味をもっていたら、この実験は大発見につながったと思われます。

ブルンネルは「膵臓は消化機能に重要でない」と結論したため、膵臓の役割は混とんとなりました。次に膵切除実験が行われ、糖尿病の発症が確認されるのは200年後です。


平成27年9月14日

糖尿病の歴史25 膵臓研究のルネサンス

膵臓研究はギリシア・ローマ時代からその後停滞していましたが、17世紀に入って新たな発展が始まります。

まずドイツ人の解剖学者ウィルズング(1589-1643) が1642年に主膵管を発見します。彼はイタリアのパドヴァでプロゼクターを務めた人です。パドヴァ大学は公開解剖のための建物(解剖劇場)が最初に建てられた場所であり、解剖劇場ではプロゼクター(解剖準備師)が解剖準備をしていました。しかし公開解剖は3月に終了しており、主膵管発見のもとになった解剖は私的にサンフランシスコ病院で行われました。ウィルズングは自分の発見を出版せず、銅版に彫り、印刷物を有名な解剖学者に届けました。この彼の行動は主膵管の発見者をわかりにくくさせ、のちのトラブルになります。彼は主膵管を発見した翌年に殺されます。主膵管の発見は膵研究の歴史上重要なできごとで、この発見によって「膵臓は胃のクッションであり、血管の保護組織」というガレノスの見解が間違っていることが明らかになりました。

ウィルズングが主膵管を発見した時、トーマス バルトリン(デンマーク:1616-1680)は学生としてその場に立ち会いました。バルトリンは父親も息子も兄弟も有名な解剖学者で、リンパ管の発見で有名です。 バルトリンが1651年に出版した解剖書はオランダ語訳され、日本にもたらされて解体新書の参考書になっています。当時、膵管は「乳糜を流す管」という捉え方が広まっていましたが、バルトリンはこれを否定します。


膵管の十二指腸開口部には弁があり、十二指腸側からプローブを差し込むことができない。。。何かが膵臓から腸に分泌されているのは確かだ。乳糜が十二指腸から脾臓に向かうのでなく、膵液が発酵のために胃に向かうのでもない。それは解剖学的関連がなく、乳糜が膵で洗浄されもしないからだ。


顎下腺管の報告者であるトーマス ワートン(1614-1673)も膵臓の詳しい解剖を行いました。1656年に発刊された論文をみますと、精緻な膵臓の図が描かれています。余談になりますが、1665年にロンドンでペストが流行しました。暑い6月から流行が拡大し、難を逃れるため、国王を始め20万人もの人がロンドンを脱出しています。このとき多くの内科医もロンドンを離れますが、ワートンはロンドンに留まった数少ない一人です。

もう一つ余談ですが、世界最古のペストは膵臓(パンクレアス)の名付け親であるエフェソスのルーフスが書き残しています(リトル)。ルーフスはペストを経験した3人の著書を紹介しています。最も古いのがディオニシウス(紀元前3世紀)で、リビア、エジプト、シリアの孤発例(腺ペスト)です。後の2人(ポセイドニウス、ディオスコリデス)は紀元前1世紀の人で、リビアにおけるペスト流行です。分子遺伝学的にペスト菌は2500年前に出現したと想定され、時期的に一致します。

シルビウス(オランダ:1614〜72)は17世紀に台頭した医化学派の創始者です。彼は人体を「酸とアルカリの微妙な平衡状態にある化学系」と想定し、このバランスがくずれたときに体調変化が起こると考えました。シルビウス説では、胃酸、膵液(酸)、胆汁(アルカリ)のバランスが大切です。


膵液は胆汁と混ざった時に活性化する。酸性の膵液はアルカリの胆汁と混じり合って、腸内で石鹸の泡のようになり、消化できるものとできないものを分ける。


これを実証しようとしたのが、弟子のライネル デ グラーフ(オランダ:1641-1673)です。彼は女性生殖器の研究で有名(グラーフ卵胞は彼にちなんでいます)ですが、彼の博士論文(1664)は膵臓の研究です。彼は生きたイヌに膵管瘻孔をつくり、膵液の性質を調べました。そして間違いましたが、「膵液はシルビウスの予想通り酸性」と結論付けました(舌で評価!)。唾液腺管が発見されてまもなくの時代(顎下腺管1656、耳下腺1662)であり、グラーフは「膵液は唾液と同様に膵臓の腺から流れ出る」と書きました。

グラーフは師の唱える「泡」の再現実験に失敗します。しかし師を信じるグラーフは生体内熱が「泡」を引き起こすと考えました。誤りはいくつかありますが、ここでは「膵臓は消化機能に大切」という見方が大切です。グラーフは腺ペストで亡くなりました。


平成27年9月4日

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