メトホルミンの抗癌作用
癌にも幹細胞があります。癌幹細胞は、癌の浸潤(周辺への広がり)や転移に大きな役割を演じています。分化した癌細胞だけを除いても(治療によって癌が小さくなっても)、わずかの癌幹細胞が残れば癌が再発します。転移する能力も癌幹細胞の性質です。
転移は「上皮細胞が間葉細胞の性質を持つようになり、元の居場所から離れ、血流・リンパ流に乗って遠くに移動し、そこで再び上皮細胞の性質を持つようになって居つき、分裂して腫瘤を形成する」ことで起こります。性質が変化した細胞を生み出し、少数細胞から大きな腫瘤を作る能力を持つのが癌幹細胞です。本当に癌を治すには悪質な癌幹細胞を除くことが大切です。
メトホルミンという糖尿病の薬があります。1950年代から使われている古い薬ですが、最近注目を浴びています。それはメトホルミンを服用している人に癌が少ないことが明らかになったからです。1gの服用ごとに癌死亡が42%減少するとまとめた報告まであります。これまで治療法のなかった癌幹細胞に作用することもわかってきました(癌幹細胞には通常の癌細胞より低濃度でメトホルミンが作用します)。
メトホルミンは酸化的リン酸化を抑えてATP/AMPバランスを崩し、LKB1-AMPKを活性化させます。酸化的リン酸化は細胞がミトコンドリアでエネルギーを得るときの代謝経路です。ATP、AMPは細胞内にあるエネルギーを貯める分子です。LKB1は癌抑制蛋白質、AMPKはAMPで活性化されるリン酸化酵素です。
少し難しい話になってきましたが、このLKB1-AMPKの活性化が癌細胞抑制の出発点です。このあとの経路では、mTOR経路の抑制が最も研究されています(mTORというのはラパマイシンが作用する標的ということで名づけられた蛋白質キナーゼです: mammalian Target of Rapamycin: 哺乳類のラパマイシン標的)。ラパマイシンはシロリムスとも呼ばれる免疫抑制剤で、平滑筋増殖抑制作用があり、薬剤溶出性血管内ステントに使われています。癌や糖尿病でmTORの制御異常が報告されています。AMPK以外の経路も提案されています。
メトホルミンは一般的な抗癌剤に比べると副作用が少なく、ずっと安全です。これまで糖尿病の人の成績しかありませんでしたが、糖尿病でない人に試されつつあります。メトホルミンは非治癒癌の治療を大きく変える可能性があり、今年中に抗癌治療としての方向性が明らかになることが期待されます。
平成25年1月31日
アメリカ糖尿病学会のガイドライン改訂(2013):高血圧について
(1) 収縮期血圧の目標140mmHg未満(これまで130mmHg未満)
(2) 若い人で治療の負担がなく達成できるなら、130mmHg未満
(3) 拡張期血圧は80mmHg未満
治療目標が10mmHgほど緩められたわけですが、いろいろなことを説明しています。
(1) 疫学的な研究(観察研究)から:
115/75mmHg以上の血圧で心血管イベント、死亡率が増え、120mmHg以上で末期腎障害が増える。
(2) 無作為化臨床試験(質の高い治療介入研究)から:心血管イベント、脳卒中や腎障害の減少は、140/80mmHg未満の降圧で得られる。しかしさらに低めの血圧にして恩恵があるかどうか、根拠は限られている(ACCORD試験、ADVANCE試験の成績をあげています)。
(3) メタ分析(多くの論文をまとめて分析)から:McBrien 他 (Arch Intern Med 2012)の報告から:
厳格な血圧コントロールは脳卒中を35%減らすが、絶対的リスク減少はわずか1%。死亡率や非致死性心筋梗塞は減らない。
Bangalore 他(Circulation2011)の報告から:
130mmHgを目標にすると、脳卒中が減り死亡率が10%減るが、他の心血管系イベントは減少せず、重篤な副作用が多くなる。アルブミン尿の出現・進行は抑制されるが、進行性腎障害は変わらない。網膜症や神経障害も変わらない。
以上をまとめますと、血圧の低い人は心血管イベントが少ない(これは正しい観察です)。そこで高血圧の人を実際に治療して血圧を下げてみた(これが治療介入研究です)。厳しく血圧をコントロールすると、予想に反して心血管イベントが下がらず悪い影響が出た。これらの結果を踏まえ、血圧の治療目標を緩めた。
なお、ヨーロッパ高血圧学会では2009年のガイドラインで140mmHg未満に目標を緩めています。(1) 130mmHg未満という観察もあるが、140mmHg未満の方が無難。(2) 130mmHg未満という目標は、HOT研究やSyst-Eur研究から熱狂的に引っ張り出されたもので根拠に乏しい(J Hypertension2009)。
注:
日本は現時点では130mmHg未満を勧めています。
心血管イベントとは、心筋梗塞や心不全など重篤な循環器系疾患の急激な発症や増悪をまとめて指す言葉です。
平成25年1月25日
人類最初のころの炭水化物
農業が始まる以前は、狩猟・採集が食べ物の獲得手段でした。この頃の人類は穀類をあまり食べず、動物性食品がほとんどだっただろう、と考えがちです。しかし実際は炭水化物をけっこう食べていたようです。澱粉は残りにくく遺跡から検出することが難しいのですが、いろいろ発見されています。
10万5000年前の遺跡(アフリカのモザンビーク)から澱粉顆粒が回収されています。人類がアフリカ大陸を出て全世界に広がるより前の時代です。3万年前になると、石器に付着した澱粉顆粒がヨーロッパ中で見つかっています。クロマニヨン人(4〜1万年前)は肉、野生の穀類、人参、赤カブ、玉葱、カブなどを含む食事を食べていたと考えられています。なかなかのバランス食です。
アジアにおいても4万年前の遺跡(ボルネオ)から、住民が植物の灰汁抜きの技術をもっていたことが発見されています。加工しないと食べられない植物まで食べていたようです。狩猟・採集時代の炭水化物の割合は思ったより多く、考古学者は22-40%と推定しています。
人類が定住を始めたのが1万5000年くらい前で、近東のナトゥフ文化がその代表です。ナトゥフ人は穀草を脱穀して貯蔵していました。前農業期の技術です。
そして1万500年くらい前に農業が始まりました。まずアインコルン(古代小麦の一つで一粒系)がトルコで栽培化されました。そしてシリアでエンマー小麦(古代小麦で二粒系)が、ライ麦と大麦が肥沃な三ケ月地帯で栽培化されました。イネの栽培化は雲南ではなく、中国の珠江中流域のようです。
農業の開始によって食べ物の中の炭水化物の割合が多くなりました。それと共に遺伝子変化が起こっています。ヨーロッパ、アジア、アフリカ人のインスリン調節に関わる遺伝子変異(TCF7L2のHapA変異)は、その変異が起こった時期がそれぞれの集団の農業の始まりとほぼ一致しているそうです(nature genetics2007)。この変異は正の淘汰を受けていて、食環境の変化に伴う適応と提案されています。
注:
食生活が遺伝子を変化させ、適応した遺伝子が急速に拡がることがあります。もっとも有名なのが乳糖耐性の遺伝子です。8000年前に近東で牛が家畜化され、牛乳が手に入るようになりました。牧畜をヨーロッパに広めたのはファンネル・ビーカー文化で、5000〜6000年前です。乳糖耐性遺伝子の正の淘汰が始まったのは、遺伝子学からみると5000〜1万年前です。この2つの年代は、ほぼ一致しています。そして現在、乳糖耐性遺伝子は世界的に拡がっています。
農業以前の炭水化物比率、食事内容がそのまま現代の健康食とは限りません。低炭水化物食の根拠にあげる人がいますが、当時の食事内容が現代人の寿命を伸ばすかどうかは、別問題です。
平成25年1月19日