でんぷん食の歴史:唾液腺アミラーゼ遺伝子の分析
アミラーゼはでんぷんを分解する酵素で、唾液腺アミラーゼと膵アミラーゼがあります。今回は唾液腺アミラーゼの話です。
ヒトでは唾液腺アミラーゼ遺伝子のコピーがたくさんあります。コピーがたくさんあると、酵素量が増えます。ヒトに近い類人猿であるチンパンジーは唾液腺アミラーゼ遺伝子コピーがなく、ボノボは唾液腺アミラーゼが働いていないようです(Nat Genet 2007:遺伝子はありますが、破壊コード配列がある)。彼らは果実を食べますが、でんぷんの多い球根・根菜などは食べないのです。
哺乳類の唾液腺アミラーゼ遺伝子コピー数を調べた研究では、でんぷん摂取量と唾液腺アミラーゼ遺伝子コピー数に関連があります(eLife 2019)。唾液腺アミラーゼ遺伝子コピー数は効率的なでんぷん消化と関連しています。現代人は唾液腺アミラーゼ遺伝子AMY1を最大9コピーまで持つようですが、地域的にみるとでんぷん摂取の食文化と関連しています。歴史的にみると、唾液腺アミラーゼ遺伝子コピーが大きく増えたのは西ユーラシア大陸では4000年前からで、農業革命〜農業文化の広がりと関連しています(Nature 2024)。
歯石の分析から人類の祖先は狩猟採集文化においても植物を食べていたことが証明されています。もっとさかのぼって、ヒトが唾液腺アミラーゼ遺伝子のコピーを持つようになったのはいつ頃でしょうか。唾液腺アミラーゼ遺伝子を分析することによって、でんぷん摂取の歴史が分かるかもしれません。
狩猟採集文化時代でも4−8のアミラーゼ遺伝子コピーが認められます。ありふれた3コピーの歴史を辿ると、80万年前から人類の祖先は唾液腺アミラーゼ遺伝子コピーを持っていたようです(Science 2024)。ヒト以外の類人猿は唾液腺アミラーゼ遺伝子コピーを持ちませんので、大変な発見です。でんぷん食は人類の祖先の特徴であり、でんぷん食が人類の進化にどう関わっていたのか想像するのも楽しいです。
「遺伝子は急に変化しない、昔に戻って炭水化物を摂らないのが自然だ」と主張する人がいますが、どうも間違っていそうです。
令和6年11月6日
高齢の慢性腎障害患者では蛋白制限しない
慢性腎障害(CKD:chronic kidney disease)の人に蛋白制限をしてもらうと、腎機能の低下がゆっくりになります。しかし、蛋白制限して寿命が長くなるかについてはよく分かっていません。今回60歳以上のCKD患者を対象に、蛋白制限の効果を検討した成績が発表されましたので紹介します(JAMA Open 2024)。
研究はスペインの2つのコホート(高齢者の心血管健康、栄養、身体虚弱に関する研究1と2)、スエーデンの1つのコホート(クングスホルメンの老化とケアに関する国民調査)で行われました。2001年3月〜2017年6月に募集し、2021年12〜2024年1月に死亡の確認をしました。CKDのstage4-5、腎透析、腎移植の方は除外しました。慢性腎障害は、尿アルブミン、eGFR、カルテ記録で確認しました。
調査対象は8,543人、全観察記録14,399回です。CKDのstage1-3は4,789人(女性56.9%)、平均年齢78.0±7.2歳でした。観察期間に1,468人が亡くなっています。
蛋白摂取量別に検討すると、蛋白摂取の多い方ほど死亡率が低くなりました。0.80g/kg/dayの蛋白摂取の方を基準にしますと、全死亡のリスクは 1.00g/kg/dayの方で 0.88、1.20g/kg/dayの方で 0.79、1.40g/kg/dayの方で 0.80 でした。動物性蛋白でも植物性蛋白でも同じ効果でした(蛋白摂取が0.20g/kg/day増加する毎に、植物性で0.80、動物性で0.88とリスクが低下しました)。75歳未満と75歳以上でも同様でした。
軽〜中等度の腎障害がある高齢者では蛋白制限をしない方が良いようです。
令和6年9月24日
飲酒と痛風
ビール系飲料でよく「プリン体ゼロ」の広告を目にします。この広告が効果的なためか、プリン体ゼロなら飲酒しても大丈夫、尿酸は上がらないと勘違いする人がおられます。そんなことはありません。
「天空の神ユピテルもポダグラを怖れ、冥界の王ハデスもひるむ」
飲酒と痛風が関連していることは古くから知られており、ギリシャ・ローマ神話からも伺えます。ポダグラという女神が神格化された痛風で、父がバッカス(ディオニューソス)、母がビーナス(アフロディーテ)です。ディオニューソスはご存じの方が多いと思いますが、ワインの神様です。アフロディーテは愛の神様ですが、プラトンの「饗宴」ではアフロディーテは2重の神性(純粋な愛情と凡俗な肉欲)を持っています。つまり痛風神ポダグラは酒と歓楽が結びついて生まれた神様です。ローマ時代は痛風が流行していて、女性にも痛風がはやっていました。風紀の乱れがその原因とされたのもこういう文化背景があるからでしょう。なお、ローマ時代には鉛を含む「サパ」がワインの甘み付け保存料として使われていました。痛風の流行は鉛中毒による腎障害が原因と考えられます。
飲酒が痛風のリスクであることは古くから知られていたのですが、実際にお酒を飲んで尿酸が上がるかどうかはよく分かっていませんでした。古典的な実験で、数百gものエタノールを飲んで尿酸が増加することが報告(J Clin Invest 1962)されていましたが、少量飲酒では尿酸が増加しない成績が多かったのです。アルコールパラドックスです。
少し古い論文ですが、このパラドックスを解明した論文を紹介します(Purine and Pyrimidine Metabolism Vol.16 1992)。実験背景として、飲酒後に血中酢酸が大酒家で大きく上昇するが分かっていました(エタノール→アセトアルデヒド→酢酸の順に代謝が進みます)。酢酸はATP(プリン体の1種で生体内の高エネルギー物質)を使って代謝されます。仮説は「大酒家では飲酒後に酢酸が多くなり、ATP分解が進んで、最終産物である尿酸が増加する」というものです(ATP→AMP→IMP→イノシン→ヒポキサンチン→キサンチン→尿酸の順に代謝が進みます)。
20g/日以下の少量飲酒家と60g/日以上の大量飲酒家に集まってもらい、ウイスキー(エタノール換算で0.5g/kg)を飲んでもらいました。酢酸濃度は少量飲酒家で3.2+/-0.6mg/dl、大量飲酒家で4.6+/-1.1mg/dlと予想通り大量飲酒家で多くなりました。少量飲酒家では飲酒しても血漿ヒポキサンチン、キサンチン、血清尿酸とも変化がありませんでしたが、大量飲酒家では飲酒後に血漿ヒポキサンチン、キサンチンが増加して60分後にピークとなり、血清尿酸は120分後から増加を始めて180分後にピーク(増分0.9+/-0.4mg/dl)となりました。
論文の結論は「少量飲酒家では飲酒しても尿酸が上がらず、大量飲酒家では飲酒すると尿酸が上がる」です。ウイスキーはプリン体を含みませんので、プリン体ゼロのビール系飲料も同様です。
実はこの論文は私が書いたもので、朝日新聞の記事にもなりました。
令和6年3月27日
飲酒とストレス発散
アルコールは少量でも発癌性があり、医学的には以前よりも寛容でなくなってきています。少し前まで「少量飲酒は長寿」と言われてきたので、飲酒家には辛い現実ですね。
今回紹介するのは、少量飲酒のストレス発散、心血管系イベントへ抑制硬化の検討です(J Am Coll Cardiol 2023)。
ストレスを受けると、脳の扁桃体の活動が亢進し、内側前頭皮質の活動が低下します。脳MRI/PET検査を使うと、こういったストレス関連神経ネットワーク活動(SNA:stress-related neural network activity)を調べることができ、その人のストレス状態を推定することができます。
この研究にはMass General Brigham Biobankから、53,064人(平均60歳、女性60%)が参加しました。全く飲まない/極少量飲む人は27,053人でした。平均3.4年観察し、その間に1,914人が心血管系イベントを発症しました。少量/中等度の飲酒者のリスクは全く飲まない/極少量飲む人に比べて減少していました(ハザード比0.786)。不安を持つ人ではさらにリスクが小さくなり、ハザード比0.60でした。
713人が脳MRI/PET検査を受けました。少量/中等度飲む人のSNAは、全く飲まない/極少量飲む人に比べて減少していて(標準回帰係数-0.192)、SNAの減少と心血管系イベントに関連が認められました。
中等度を超える飲酒では逆にSNAが増加していました(=ストレス状態)。
この論文の「全く飲まない/極少量飲む」は週に1ドリンク未満、「少量飲酒」は週に1-6ドリンク、「中等度飲酒」で7-14ドリンクです。米国の1ドリンクはアルコール14-15g、ビールなら12オンス缶(350ml)に相当します。
はじめに書きましたが、アルコールは少量でも発癌性が認められ、飲酒を積極的に勧めることはありません。
飲酒すると顔が赤くなる人(昔に赤くなっていた人を含む)は注意が必要です。顔が赤くなるのはアルコールが代謝されてできるアセトアルデヒドの影響です。アセトアルデヒドは交感神経を刺激します。今回の対象は8割強が白人で、顔が赤くなりにくい人たち(=アセトアルデヒドが多くなりにくい)です。顔が赤くなる人はもっと少ない量でストレス状態になるかもしれませんね。
令和6年1月26日
追記:1ドリンク(1杯)は国によって異なります。
米国 1ドリンク 14-15g:ビール12オンス(350ml)
日本1ドリンク 〜20g:日本酒1合(180ml)
英国1ドリンク 8g